ウィステリア・ピアノクラス ♪WISTERIA Piano Class♪
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ジェネンズとヘンデル
皆さん、こんにちは!昨日は、ヘンデルの「メサイヤ」が宗教的理由により、一年間、興行を見合わせられていたというお話をしました。「メサイヤ」が作曲されたのは1741年ですが、この作品の作曲を思い立ったのはヘンデル自身ではなく、作詞者のジェネンズだったようです。 ヘンデルは20代半ばでイギリスに渡り、当初はオペラ作曲家として大きな成功を収めました。しかし、40代後半になるとオペラの興行が不調に陥り、彼自身も体調を崩し、演奏活動からの引退を余儀なくされました。その時、ヘンデルは52歳でした。 その後、体調... 続きを読む
2024年3月3日
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音楽表現におけるデジタルとアナログの影響
皆さん、こんにちは。前回はデジタルとアナログの基本的な違いについてお話しました。今回は、これらの録音方式が音楽表現にどのように影響を与えるのかについて詳しく見ていきましょう。 デジタル録音は、音を一連の数値に変換し、それを記録することで、非常に正確な音の再現が可能です。これにより、音楽はクリアで、ノイズや歪みが少ない状態で再生されます。しかし、一部の音楽愛好家は、デジタル録音が音の「生命感」を失うと感じています。 一方、アナログ録音は、音の波形を直接記録することで、音の微妙なニュアンスを... 続きを読む
2024年3月2日
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ダブリンでのヘンデル
皆さん、こんにちは!ヘンデルの代表作の筆頭に挙げられるものは、何と言っても「メサイヤ」ですよね!「ハレルヤ、ハレルヤ」という歌詞とメロディーは、きっと皆さんも一度は聞いたことがあるでしょう。 ヘンデルは1741年の秋のシーズンにダブリンに招聘され、そのために一気に「メサイア」を書き上げました。彼はこのダブリンへの演奏旅行に、完成したばかりの「メサイア」を携えていきました。しかし、この演奏旅行では「メサイア」が演奏されることはなかったのです。当時ロンドンでは、聖書に題材をとったオラトリオをオペラ... 続きを読む
2024年3月2日
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デジタルとアナログ、その違いを知る
皆さん、こんにちは。3月に入りましたが、朝夕はまだ外の空気が冷たい日々ですね。さて、当教室では今月下旬より、恒例の録画イベントを実施いたします。レコーディングに関心をお持ちの方から、「デジタル」と「アナログ」について質問を受けました。 デジタル録音とは、音をデジタルデータとして表現するもので、現代の録音では主流となっています。一方、アナログ録音は、音を連続的に変化する物理量として表現します。21世紀に入ってからアナログの魅力が再評価され、クラシック音楽ファンを中心に、静かなブームが起きています... 続きを読む
2024年3月1日
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未交差の運命
皆さん、こんにちは!ここ数日間、ヘンデルについてお話ししてきましたね。 ヘンデルがバッハと同じ年に生まれたという事実に、皆さんは気づいていましたか?以前、ヘンデルが学生時代にテレマンと出会ったと書いた際に、「テレマンはバッハの次男の名付け親でもあった」という情報を追記しました。 では、ヘンデルとバッハは面識があったのでしょうか?答えは「ノー」です。ちょっとがっかりさせてしまったかも知れませんね。 バッハはドイツの一地域で教会音楽家として多忙を極めており、ヘンデルの方もヨーロッパにその名... 続きを読む
2024年3月1日
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ヘンデル、イギリスへの道
皆さん、こんにちは。昨日は、ヘンデルがイギリスの貴族から作曲を依頼されたことについてお話ししました。 彼がロンドンで上演したオペラ『リナルド』は現地で大いに話題となりました。この成功は、彼のイギリスの定住を決意させる切っ掛けとなりました。実は、ヘンデルは『リナルド』をわずか2週間で書き上げたそうです。これは驚くべきことですね。 以降、作曲家・音楽監督として活躍したヘンデルは、1724年にイギリスに帰化し、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデルからジョージ・フレデリック・ハンデルへと改名しました。 ... 続きを読む
2024年2月29日
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音楽と薬の不思議な関係
こんにちは、皆さん。今日は、音楽と私たちの身体について、ちょっとしたエピソードを共有したいと思います。 何年も前のこと、ある日、私は電子ピアノを持っている生徒のお宅を訪れました。その日は風邪気味で、市販の風邪薬を飲んでいました。ピアノのレッスンを始めると、全ての鍵盤の音が半音低く聞こえるのです。アコースティックのピアノなら調律の狂いも考えられますが、電子ピアノではあり得ませんよね。 その後、調べてみると、風邪薬の中には聴覚に影響を与えるものがあることを知りました。特に、咳止めや鎮痛効果の... 続きを読む
2024年2月28日
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イギリスに行ったヘンデル
皆さん、こんにちは。昨日は、ドイツに戻ったヘンデルがすぐにイギリスに発ったというところまでお話ししました。今日は、その経緯を少し詳しく見ていき、彼がイギリスでどういう活動を行ったかについてお話したいと思います。 1710年、ヘンデルは、イタリア音楽家アゴスティーノ・ステッファニの推薦によって、ハノーファーの宮廷楽長に就任しました。ハノーファーは16世紀以来音楽が盛んな町で、16世紀はルター派の教会音楽が中心になっていましたが、1636年にカーレンベルク公国の宮廷が置かれてから、宮廷に活動の中心が移って... 続きを読む
2024年2月28日
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ヴェネチアとナポリでのヘンデル
昨日は、ヘンデルがイタリアへ渡り、ローマでオペラの上演が禁止されていたにもかかわらず、「オラトリオ」で成功を収めたことをお話しました。 その後、彼はヴェネツィアやナポリを訪れ、オペラ『ロドリーゴ』、オラトリオ『復活』、オペラ『アグリッピーナ』などを発表しました。特に『アグリッピーナ』は大きな反響を得て、27回もの上演が行われました。 また、イタリアではコレッリやスカルラッティなどの優れた演奏家・作曲家と出会い、ヘンデルはその才能を認められ、歓迎されました。このように成功を収めた彼は、1710年... 続きを読む
2024年2月27日
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ブルクミュラーの探索:Op.100-27 La chevaleresque
みなさん、こんにちは。今日は、ブルクミュラー25練習曲Op.100最後の曲である「La chevaleresque」について見ていきましょう。 この曲は、私が子どもの頃使用していた楽譜では「お嬢様の馬乗り」というタイトルになっており、美しい衣装に身を包んだ若い女性が優雅に乗馬をしているイラストが描かれていました。最近では「乗馬」「令嬢の馬乗」「貴婦人の乗馬」「シュバレスク」など様々な訳があります。「シュバレスク」というタイトルの楽譜には、軍服を着た男性が乗馬をしているイラストがついているものもありました。描かれた... 続きを読む
2024年2月27日
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ローマでのヘンデル
昨日は、音楽家としての道を歩み始めたヘンデルが、ハレ大学を中退したところまでお話しましたね。その後、彼はオーケストラに所属し、チェンバロ奏者・音楽監督として活躍し始めました。 作曲家としても活動を開始したヘンデルは、1705年に最初のオペラ『アルミーラ』を上演しました。これが20回以上も上演される人気作となり、ヘンデルは一躍、人気作曲家として注目を集めるようになりました。 やがてその評判は海外にも広がり、イタリア・トスカーナ大公フェルディナントから熱心な誘いを受けたヘンデルは、1706年から1710年... 続きを読む
2024年2月26日
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ブルクミュラーの探索:Op.100-24 L'hirondelle
みなさん、こんにちは。今日は、ブルクミュラーの25練習曲から第24番「つばめ」について見ていきましょう。この曲は、つばめの軽快で自由な動きを音楽で表現しています。 左手が右手の上を飛び越える動作や、分散和音が上下に動くことで、つばめが空を滑空する様子を音で描いています。つばめの動きを表現するためには、手を直線的に素早く移動させる技術が求められます。 メロディーは左手が担当し、高音と低音の両方を行き来します。その際、スタッカートとレガートを対比させることや、音量のバランスに気をつけることが大切... 続きを読む
2024年2月26日
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ブルクミュラーの探索:Op.100-23 Le retour
皆さん、こんにちは。 今月は、ヨハン・フリートリッヒ・フランツ・ブルクミュラーが学習者向けに書いた「易しく段階的な25の練習曲 作品100」についてお話しします。 今日は、その中の23番目の作品、「Le retour」について一緒に見ていきましょう。 「Le retour」はフランス語で「帰り道」や「帰還」「再会」を意味します。この曲は、家への帰り道の喜びと、それに伴う子供らしい素直な興奮を表現しています。 この作品には、「非常に興奮して急速に」という意味の発想記号、モルト・アジタート・クヮジ・プレストが指定されていま... 続きを読む
2024年2月25日
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ヘンデルの音楽家への道
みなさん、こんにちは。昨日は、ヴァイセンフェルス公爵の援助のおかげで、ヘンデルが音楽を勉強することができたというお話をしましたね。 ヘンデルは、作曲、オルガン、チェンバロ、ヴィオリンなど、さまざまな分野で才能を発揮しました。 そして1702年、ハレ大学に進学したヘンデルは、この年からハレ大聖堂のオルガニストとしての活動を開始し、本格的に音楽家としてのキャリアをスタートしました。学生時代に作曲家テレマンと知り合い、二人の交流は生涯続きました。(テレマンは、バッハの次男の名付け親でもあります。) ... 続きを読む
2024年2月25日
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ブルクミュラーの探索:Op.100-22 Barcarolle
みなさん、こんにちは。今月から、ヨハン・フリートリッヒ・フランツ・ブルクミュラーが、学習者向けに書いた「易しく段階的な25の練習曲 作品100」についてお話ししています。 今日は、その22番目の作品である「舟歌」についてご一緒に見ていきましょう。 「舟歌」は一般的に、ゴンドラが静かな運河を進むイタリアのヴェネツィアの風景を思い起こさせる音楽です。 この曲は、左手の伴奏が波のように揺れることで、水面に浮かぶ舟の動きを表現しています。 右手の旋律は、舟に乗っている人たちの歌や会話を想像させます。 曲の... 続きを読む
2024年2月24日
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ショパンと食べ物:ホットチョコレートの愛好家
作曲家ショパンは、ビターなコーヒーもお酒も飲まない人でしたが、実は大の甘党でした。 アメリカの医学者・オシエーの調査によると、ショパンは、炭水化物の食事を好み、パンやお菓子だけで過ごしていたのだそうです。パリに住んでいたときは、彼が毎朝欠かさずホットチョコレートを飲んでいたことは広く知られています。 彼が愛用していた一口サイズのホットチョコレート用のカップは、ワルシャワのショパン博物館に展示されています。その当時、チョコレートは非常に貴重な食べ物だったため、小さいカップであっても、それは... 続きを読む
2024年2月24日
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ヘンデルの生い立ち
ヘンデルは1685年、ブランデンブルク=プロイセン領のハレに生まれました。バッハの家系とは異なり、ヘンデルの家系は音楽とは無縁でした。 ヘンデルの祖父は金属細工師で、父ゲオルグは宮廷お抱えの外科医兼理髪師でした。この時代の外科医は「床屋外科医」とも呼ばれ、散髪や外科的手術を一手に行う一種の技術者でした。ついでに言うと、歯を抜くのも床屋の仕事でした。 幼少の頃から音楽の才能を発揮したヘンデルですが、父ゲオルグは音楽の道に進むことに猛反発。息子には法律家になって欲しかったらしいです。幼いヘンデル... 続きを読む
2024年2月24日
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ブルクミュラーの探索:Op.100-21 L' harmonie des ange
みなさん、こんにちは。 今日は、「天使の声」「天使の合唱」と訳されているブルクミュラー25練習曲の21番目の作品についてお話ししましょう。原題は「L’harmonie des anges」ですから、直訳すると「天使たちのハーモニー」となります。 「harmonie」は、「調和」「和声」といった意味で、一方、「合唱」は、フランス語で「chœur クール」になるので、日本語のタイトルはちょっとニュアンスが違うのです。 「天使」というのは神の使いで、美しさ、純粋さ、調和の象徴とされています。牧師であった祖父、劇場音楽監督・兼... 続きを読む
2024年2月23日
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ショパンの音楽:ポロネーズの旅
フレデリック・ショパンは音楽に溢れた環境で育ちました。彼の家族は音楽を愛し、ショパン自身も幼い頃からピアノに親しんでいました。ショパンが洗礼を受けたカトリック教会は、生家から10キロの距離にある「聖ロフ教会」でした。この要塞のような独特の特徴を持つルネッサンス様式の立派な建物は、緑豊かな自然の中にあります。実は、この教会はショパン一家と深い縁があります。ショパンの両親はここで結婚式を挙げ、また、姉のルドヴィカの結婚式もここで行われました。 彼がピアノの勉強を始めたのは4歳のときで、7歳のときに... 続きを読む
2024年2月23日
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音楽の母の誕生日:ヘンデル
今日、2月23日は、特別な日です。なぜなら、この日はゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685年)の誕生日だからです。彼はドイツ出身で、イタリアやイギリスで活躍した作曲家・オルガニストでした。 同時期に「音楽の父」と呼ばれるバッハがいたことから、日本ではヘンデルは「音楽の母」と呼ばれています。彼の作品は、「水上の音楽」、「オラトリオ「メサイヤ」」、「調子のよい鍛冶屋」、「ラルゴ(オンブラ・マイ・フ)」など、多数あります。これらの作品はすべて、大衆に愛される作風になっています。 彼は、「私の最高の... 続きを読む
2024年2月23日